田川を中心として栄えた邪馬台国を支配していた女王「とよ」の死後、その後を継いだ方について赤村の古墳の主に更に質問を続けました。
「とよ」の後を継ぎ第14代目の卑弥呼として活躍したのは「おいち」と呼ばれていた女性だったようです。「おいち」は筑豊の飯塚のあたりで生まれ8歳の時 その霊感を見出され 親元を引き離された後16年間、宇佐の御許山で修行を重ねてから24歳から78歳まで卑弥呼として活躍しています。最後はやはり狗奴国の刺客に暗殺される形でなくなっているようです。そしてその埋葬地が今の宇佐八幡宮となっているようです。
13代目から14代目の交替の時期に 邪馬台国は田川から 行橋・みやこ郡のあたりにその中心部を移動しています。
14代目の卑弥呼「おいち」は、大変優れた霊能力を生かして見事に祭祀王としての職を全うしています。利発な女性で、多くの仕事をこなしていたようです。ところが、この14代目の卑弥呼を努めた女性を霊視したところ、何ということでしょう! 福智町の岩屋(ごうや)神社で出会った あの、可愛らしい神様、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と重なって見えます。
大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に国づくりに励まれた少名毘古那神(すくなびこなのかみ)が今度は「おいち」という名の女性として転生し 第14代目の卑弥呼として全力で周辺国の安定のため、日本の発展のために尽くされたようです。
少名毘古那神はとても天真爛漫で底抜けに明るい性格の神様ですが 「おいち」は対照的に大変、生真面目で厳格に職務をまっとうされる女性です。それほど卑弥呼としての努めは厳しく、孤独・・だったのでしょうか・・・。確かに、どの卑弥呼達も幼少期に両親から強引に引き離され、一定期間の修行を強要されたあと孤独な卑弥呼職にその一生を投じています。気の毒といえばとても気の毒な運命に支配された生涯のような気がしました。
しかし、磐長姫(いわながひめ)、木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)にしろ瀬織津姫(せおりつひめ)にしろ、この少名毘古那神(すくなびこなのかみ)にしろ 代々、卑弥呼職を努めれた女神さん達は、おそらく自らの意志で使命として その過酷な運命を引き受けられたような気がします。そしてこれら女神達を長年まとめ上げ、指導して日本の安定のためその偉大なちからを発揮されてきたのは 他でもありません、菊理媛尊(くくりひめのみこと)です。邪馬台国と卑弥呼の物語りは 実は、これらチーム菊理媛(笑)の女神さん達の汗と涙の物語り・・なのです。
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