「とよ」の国の卑弥呼(1)

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「卑弥呼の墓では?」巨大な前方後円墳?田川郡赤村に。謎の丘陵 日本最大に ・・・

このような記事が数年前から新聞やテレビで時々 取り上げられます。Gogle地図での衛星写真ではたしかに うなずけるのですが・・・半信半疑で 現地におもむいてみました。衛星写真では なるほど・・と思わせるのですが 現地にて実際にみると まったく どこが古墳かわかりにくいのです。周りは民家なので中にははいれずちょっと離れたところから霊視してみました。

な、なんということでしょう!! まさに卑弥呼が埋葬されている場所です。繋がった女性は高齢の落ち着いた威厳のある感じの女性です。名前をお聞きすると「とよ」という名前とのこと・・あ、あの「魏志倭人伝」に記される邪馬台国に君臨した倭の女王卑弥呼の跡継ぎとして記されている台与(とよ)なのでしょうか? もう少し詳しくお聞きしました。

出身は 古墳のある赤村の大原(おおばる)と言う所とのこと。幼少期より大変な霊感があり そのうわさがひろまり 邪馬台国の人たちから 8歳の時、親元から引き離され、 次期の卑弥呼候補として特別な修行をさせられたとのことです。それまでの邪馬台国は糸島、吉野ヶ里、久留米、朝倉まで転々と移動しています。「卑弥呼」は固有名ではなく 特別な霊能力をもち高い次元の神々とつながり 国の方針につきお伺いを立てていた巫女の役職名のようです。「とよ」の前は朝倉に邪馬台国があり 先代卑弥呼の死後 国々は戦乱に明け暮れたため急遽 次期の卑弥呼候補探しがはじまり うわさの広まった「とよ」に白羽の矢があたったようです。「すぐ実家にはもどれるから・・」と連れ去られた先は 宇佐の御許山という霊場。そこで約5年間の特殊な修行をさせられ13歳のときに正式に卑弥呼として働き始めたとのこと。

その時の邪馬台国は今の 田川郡にありました。福智町、田川市、香春町、赤村あたりに広がる広大な地域に集落があつまり 約50年間 卑弥呼「とよ」は努めを果たします。約60歳の時に役職を退いて故郷の赤村の大原(おおばる)で村人とともに静に暮らします。そこでは霊感を生かして村人の相談にのったり 特殊な力を生かして「手かざし」で病気の治療を行っていたようです。そして68歳のとき狗奴国の刺客に暗殺されてしまいます。「とよ」はそのことは以前から解っていて自らの運命として受け入れていたようです。両親とは8歳のとき連れ去られた後、二度と会う事も叶わず、波乱に満ちた人生の幕が閉じられました。

しかし りんとした態度で当時のこと話してくれる「とよ」にはさすがに女王として君臨した威厳が漂っていました。そのとき 大変なことに気づきました。

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