饒速日命(にぎはやひのみこと)様が九州に大変縁が深いことは余り知られていません。今回は宮若市に饒速日命を祀る神社として由緒ある天照神社(てんしょうじんじゃ)に参拝に行きました。

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当神社の由緒によると垂仁天皇16年に宮若市の笠置山山頂に降臨されたのを機に当初山頂に奉祠(ほうし)したのを後の時代に御神託でこの地に祀られるようにしたとのことで大変由緒ある神社です。

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御祭神にある「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやのみこと)という大変長い名前は いわゆる饒速日命(にぎはやひのみこと)のことです。
饒速日命は素戔男尊(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた御子神で弟神が宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(お稲荷さんのこと)になります。九州の北部(筑豊地方)で生まれましたが 成長されたあと宮崎の高千穂にて叔母にあたられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)から日本統一の命を受け その活躍を始められたのが宮若市の笠置山になり、降臨の地とされるようになりました。九州北部でのご活躍の後、海路で河内国(大阪の交野市)に渡り、大和の国に上がられました。当初対立した土着の長髄彦(ながすねひこ)ですが、饒速日命の徳の高さに心打たれ 一族と共に饒速日命に従い大和の国統一に尽力します。つまり記紀に記されている「天孫降臨」<天照大御神の孫神にあたる邇邇芸命(ににぎのみこと)が、大和の国を治めるために、高天原から日向の高千穂峰へ天降あまくだった逸話>より先だった実質的な「天孫降臨」であり、その後 東征してきた神武天皇に国譲りする以前に 大和の国を統一し 更に稲作含め進んだ農耕文化も拡げるなど まさに日本(大和の国)の歴史の最初の王(最初の太陽神)として偉大な力を発揮されています。
あの瀬織津姫(せおりつひめ)と出会われたのもこの頃で、六年という短い結婚生活でしたがとても深く愛し合われていたようです。そして瀬織津姫はその大変な霊感を遺憾なく発揮し 夫の果たす日本統一に影ながら大きく尽力しています。このように日本の国の統一の過程で大変な活躍をされたお二人ですがなぜか記紀には 触れられて無く残念な思いがします。

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国譲りのあと、命を落とされた饒速日命ですが その亡骸は静かな故郷の地(筑豊)の某所に埋葬されました。そこを訪ねると 日本統一をめざし必死に剣道に励む若き日の饒速日命の姿が霊視されます。
福智町の岩屋神社に祀られる大国主命と少名毘古那神のお二人と共に、この神社に祀られる饒速日命(実はこの神社に行くと瀬織津姫がいつも仲むつまじく並んで立って居られます)は日本の国の基礎作りに大変な力を発揮されていたことを改めて認識させていただいたと感謝して鳥居を後にしました。
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