田川伊田の白鳥神社にて

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古事記によると日本武尊には大碓命(おおうすのみこと)という双子の兄がいましたが、ある時 その大碓命が密通事件を起こします。それを諫めるように父(景行天皇)に頼まれた小碓命(おうすのみこと)(日本武尊の幼名)は父の言葉を誤解し兄を殺害したとあります。そのためその凶暴さを父に恐れ疎まれ、九州の熊襲タケル討伐を命じられたとあります。
しかし、白鳥神社で弟橘媛(おとたちばなひめ)と手を取り合う尊のその姿には 凶暴さのかけらも感じられません。不思議に思い 意識を合わせると 古事記に双子の兄と記載されている大碓命(おおうすのみこと)は四歳年上で 日本武尊はその兄を大変慕っていたようです。兄も 戦に優秀な成績を残す日本武尊を逆に大変頼りにしていたようです。その上 後に東方の蛮族の討伐の話しが上がったときは日本武尊は真っ先に兄を 東征の将軍に推薦しています。密通事件後、父からの諫言(かんげん)を曲解して兄を殺害したというのはまったくのでたらめのようです。確かに 日本武尊は戦では天才的な振る舞いで極めて鮮やかに敵を苦しめず瞬時に殺害するなど その強さは際立っていました。それがいつかは自分の立場を脅かすことになる危険性があると父・景行天皇が恐れていたのは事実ですが 真相はまったくの父の妄想による恐怖心にありました。
本当の 日本武尊は 極めて鮮やかに戦う能力をもつ反面 常に冷静に物事を判断していたようです。古事記に伝えられるような残虐さはみじんもありません。そして兄の大碓命を常に慕っていました。多くの恋物語りが伝わっていますが 特に 弟橘媛(おとたちばなひめ)とは魂同士深く結ばれており それまで幾多の転生で夫婦として出会っているようです。荒れ狂う航海の中 日本武尊を救うために祈りながら入水し 命を絶った姫にたいし その後戦のおり、幾度となく「吾妻はや・・・」(ああ、わが妻よ・・)と 繰り返し嘆く日本武尊は妃に対する熱く、深い愛情を感じ取れます。
(三重県亀山駅前に日本武尊と弟橘媛の仲むつまじい像があります)
確かに 強さの背景には 神剣の草薙の劔の存在が大きかったようです。死ぬ直前、伊吹山の荒ぶる神と対決するにあたり なぜか草薙の劔を宮簀媛(みやずひめ)に預け、素手で山に入ります。途中 伊吹山の神の化身の白い大猪に出会います。「この猪は 神の使者にすぎないだろう・・」と無視し通り過ぎるのですが それが神の怒りを買い 大氷雨で体力を使い果たし能褒野(のぼの)(三重県亀山市)で命尽きます。死に際に詠った歌があの有名な
「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる やまとし麗し」
と故郷の大和の国を偲んでいます。そのとき魂が白鳥(しらとり)となり 故郷をめざして飛び去ったとの伝承がありますがけっして白鳥は 「しらとり」で「はくちょう」ではありません。各地の山や木に翼を休め多くの伝承地を残したその鳥は 白鷺(しらさぎ)です。
誠の 日本武尊の姿を 霊視でき大変 心が豊かな思いで満たされました。感謝の心をもって神社を後にしようとする私を 弟橘媛とふたりで見送っていただく尊の笑顔が心に深く残ります。
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