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福岡県の中間市に「杉守神社」というヤマトタケルに縁の深い神社があります。由緒によると
御祭神の日本武尊(やまとたける)は九州の熊襲討伐の帰途、共に戦ってくれた筑紫の豪族の小狭田彦(おさだひこ)の自宅に宿泊します。自宅のある小高い丘に登る手前、腰をかける台座、一台の灯籠、小さな小川のある場所(あっ これは私が当時を霊視した風景です)でその場を覆う杉の樹間から月の光がもれ 小川の水面にその姿を映すのを眺め「あな楽し、花の香、月の清き地かな 今より以降 この地を香月の邑(むら)と名つくべし」(なんと楽しいよるだろう・・。花の香りがただよい 月の光が透き通るようにその光を水面に落としている。これから この地域を 香月の邑(むら)と 名付けよう)と読まれています。小狭田彦という心より信頼できる部下、風薫る花の季節・・透き通る杉の樹間の月の光と 水面の月の影・・・・・最高に心地よい風情を感じとったようです。

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時は過ぎ 日本武尊が伊勢の地で亡くなったことを知りたいそう嘆き悲しんだ小狭田彦の夢に、日本武尊は伝えてきます。「以前 貴方の家の前で樹間の月が小川に映るのを見て心打たれたことをまことに、懐かしく思い返されます。是非、是非もう一度あの風景を貴方と共に見たいので 私は 白鳥に化身してあの場所に舞い降りましょう」と。

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香月と号するようになった小狭田彦はそれ以降 二人で月を愛でた場所を永久に保存し 未来に渡り日本武尊の魂を向かい入れるべく 自宅の場所を「杉守宮(すぎもりのみや)」と名付け保存します。そして今そのあとが杉守神社となり残っているのです。そして 日本武尊が是非また訪れたいと願った月を愛でた場所も神社の下に残っています。1700年前に二人を照らした灯籠もその台座を残し、月を写した水面もわずかに水をたたえていました。

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日本統一に全力で勇敢に立ち向かった日本武尊ですが 大自然の美しさ、親しい友と語り合うわずかな時をことのほか大切にするとても繊細な日本人に特有な魂をもった方のようです。
その後、白鳥はこの地を訪れることができたのでしょうか?・・・私も 何時の日か 月の奇麗な夜 親しい友と訪れてみたいものです。
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