香椎宮を訪ねて(1)

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実家よりほど遠くない所に香椎宮があります。「万葉集」や「筑前国風土記」にもその名が見られる由緒ある神社です。熊襲討伐(くまそとうばつ)のため筑紫(→福岡)に赴いた仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)とその妻 神功皇后(じんぐうこうごう)を祀っています。仲哀天皇は あの日本武尊(やまとたけるのみこと)の息子で父の意志を継ぎ大和の国の統一に誠意を尽くします。志し半ばで熊襲との戦いで崩御(ほうぎょ)され、そのあとを神功皇后が見事に引き継ぎました。 三韓討伐を成功させたあと応神天皇を出産、育児するなかで長きに渡り、日本の国の発展に尽力することになります。

拝殿での参拝のあと 拝殿をくだった所にあるご神木の「綾杉」に参拝に行きました。その杉の木は「とこしへに本朝(みくに)を鎮め(しずめ)護る(まもる)べし」と皇后が強い思いを込め手植えしたものです。妊娠中にかかわらず敵方に悟られないようにお腹に石板を巻き付けて朝鮮征伐を成功させた神功皇后、さぞ、男勝りの強い意志が込められてたはずと意識を向けますと・・

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あに図らんや・・驚きました。確かにご神木には彼女の強い意志と情念が込められていますが それはすべて夫の仲哀天皇に捧げられたものでした。さらに 永遠に夫のそばに寄り添いお守りしたいという ひたすら夫を偲ぶまさに「女性」の強い情念が流れてきました。「日本の国を護る」という願いは ただただ夫に課された使命を妻として支えたいという強い愛情の表現だったのです。その思いがそのまま息子の応神天皇を守り通すと言う後年の彼女を支えるエネルギーとなっていました。

巫女体質の神功皇后は 神がかりを通して ご神託をおろし夫の決断を補足するということをしていたようです。天皇即位8年の宣託は「海を渡り財宝のある新羅を討つべし」というものでした。しかし天皇はその神託より自分の強い思いを重視し熊襲征伐に向かい 戦死してしまいます。ある説では神託を無視した天罰ととらえる向きもありますが これは完全に神様も否定されます。神罰などあるはずはありません。このときも皇后はあくまでも天皇の意志を尊重します。ただ天皇崩御のあとは本来の夫の意志を引き継いで日本統一に奔走することになります。そしてその強い意志は息子の応神天皇に受け継がれ海外との交流が広がり日本の繁栄に繋がっていくことになります。

香椎宮は その波乱に満ちた仲哀天皇、神功皇后の御魂をやさしく見守り 今も歴史を刻んでいます。綾杉のそばを通ると 夫への愛に溢れた神功皇后の強い情念が今も感じられます。そして

また その彼女の思いを受け入れるように ふたりの冥福を祈る参拝者が 今日もあとを絶ちません。

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